広島に原爆が落とされて75回目の8月6日。
その前日についてはすでに綴りました。
2年前には灯ろう流しのボランティアについて綴っています。
8月6日広島、とうろう流しボランティア
8月6日。
そのためだけにテレビをつけ、8時15分には黙とうを捧げました。
またこの日は大雨の影響で休講した補講が1コマあり
安田女子大学で授業を行いました。
授業の冒頭で広島にとって8月6日は
原爆で犠牲になった方に祈りを捧げる大切な日であること
灯ろう流しの歴史やボランティアなどについて触れました。
ちょうど夕方、業務の関係で市内電車に乗り
原爆ドームの前を通り相生橋を渡りました。
毎年ならこの時間、灯ろう流しで人が溢れています。
とてもとても静かな、静かなヒロシマ。
そして思いました。
だんだん平和フェスティバルに傾きがちな8月6日が
静かに慰霊する1日になったのかな、と。
フェスティバルを否定する気持ちはありません。
これがあるから若い人や海外に継承できる。
継続して伝えられる。
平和を考える良いきっかけとなる。
ただ、お亡くなりになった方や遺された方など
本当に原爆で辛かった方のお気持ちに寄り添っているか、は
計り知れないところです。
また被爆者の高齢化に伴い
原爆を語り継ぐ人がいなくなっていくことを憂う中で。
語り部になられた方の思いに心から経緯を払うとともに
ほとんどの戦争経験者が子どもや孫にさえ
語れないほどの悲惨さを目の当たりにし
後悔や悲しみを抱え、思いをしまいこんでおられる。
それを忘れてはいけないと。
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去年の8月6日。
ひろしま美術館すぐ横を自転車で通りました。
ここは木々が植えられ木陰があり少し涼しいです。
そこに小さなお婆さんが座り込んでいました。
見ると手元には古い写真がありました。
戦争で亡くなられた方の写真でしょう。
そしておそらく平和公園で犠牲者を追悼した帰りなのではないでしょうか。
座ってただひたすらその写真を見つめておられました。
これが戦争なのだな、と思いました。
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当事者でない私たち。
私たちに何ができるだろう。
あるべき8月6日とは何なんだろう。
それでも迷いなく来年も
灯ろう流しのボランティアに参加すると思います。