代表者コラム COCO KASHIKO ココ・かしこ

「自分らしく」といった言葉がもはや面倒くさい

昨晩は中学同級生の集まりがありました。
正式な同窓会ではないものの、50名くらい集まったのでは?
 

私は少し家庭環境が複雑だったし
自分自身とても息苦しい中学時代を過ごしており
中2~卒業までは祖父母の家に預けられていました。
 

中2から転校してきたちょっとワケアリ風の女子。
2年間で同じクラスだった子くらいしか私のことがわからない。
それが私のポジションです。
 

中学時代の息苦しさの理由には
繊細さや生真面目さ、自意識や病気があるわけですけれども。
 

中学を卒業してからも、高校、大学、社会人・・
40歳くらいまでは常に「理想の自分」を掲げ
無理をしてきたようにも思います。
その無理があるから、今の私があるんですけれどもね。
 

今、49歳。
 

「自分らしく生きる」とかそんな課題めいた言葉が
もはや面倒くさい。重い。
 

最近はなるべく、自分のしたくないことはしないでいたいし
お付き合いする人も自分の心地よい人だけでいい。
自分のことを好きな人に囲まれてふわふわしていたい。
 

もう充分いろいろ頑張ってきたから。
さすがにもーいいんじゃないかな。
「力を抜いて生きる自分」という理想を掲げるのではなく
シンプルにそう思うようになりました。
 

ホント昔は「肩の力を抜いている」ように見せるために
「力を入れる」とかが普通だったんで。
 

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離婚して10年、やっと子ども2人が成人したよ。
難病の夫を看取って立ち直れずにいたけど、今やっと落ち着いたよ。
孫が8歳だよ。
長女が5歳だよ。
子どもが成人したら離婚するよ。
 

みんな人生いろいろです。
 

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本来が「めちゃくちゃ頑張りすぎる」ので
もしかしたら今の自分が他人から見たら
「けっこう頑張ってる人」くらいかも知れないんですけどね。
 

そして、もしかしたら仕事をめちゃくちゃ頑張っているから
プライベートで力を抜くことができるのかもしれません。
 

我が家の頑張らない猫をおいときます。