今年もとうろう流しのボランティアに参加しました。
2年ぶり、3度目です。
現在ではピースメッセージのイメージが強いとうろう流し。
私も平和を願い、一般参加者としてとうろうを流したことがありました。
けれど、ボランティアをして、初めて知ったことがありました。
それはとうろう流しの歴史と、ご遺族の思いです。
ご遺族にとってとうろう流しは、お盆のお墓参りの代わりです。
とうろうは、盆灯篭にあたるのです。
(広島ではお盆の時期に、お墓に盆灯篭という飾りを供えます)。
1年目と2年目は、護岸での誘導と、流灯船からの手流しをお手伝いしました。
護岸では主に、一般の方がとうろうを流す誘導を行います。
足元が濡れて滑りやすいのでその注意喚起や、蝋燭の火が消えてしまった方に再度火を灯します。
そして、どうしても護岸に人がとどまりやすく、そうすると行列をなして待つ方の順番が回ってきません。
待つ方の大変さは、一番の問題です。
そのため、心を込めて送られている方に対して不本意な思いではありますが、「終わった方から出口にお進みください」とひたすら声をあげ続けます。
実際、中学生を引率する教師が、生徒たちに声をかけ集合写真を撮り人の流れを妨げる様子には、時代が変わったな、と思わずにはいられませんでした。
流灯船のとうろうは、遺族からお預かりした色紙がほとんどです。
高齢のご遺族は、原爆ドームに出向くことはできません。
メッセージも、亡くなった方のお名前と送る方のお名前のみのものや、「熱かったでしょう、苦しかったでしょう」のいたわりの言葉、「みんな元気でやっていますから大丈夫ですよ」「孫が大きくなりました」という報告など、目にすると胸にこみあげるものばかりです。
とうろう流しは、送る方には記入済みのとうろう色紙だけを持参いただき、とうろう木枠にセットし点火するのはボランティアの仕事です。
心を込めて組み立て、1つ1つ丁寧に送りました。
3年目の今年は、護岸での受付(組み立て)を行いました。
人の流れがこれまでの年に比べてスムーズです。
7月の豪雨災害の影響で足を運べない方が多くいるのだろうと、単純にホッとはできませんでした。
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とうろう流しボランティアのメンバーは、学生が多いです。
もちろん私のような一般人のほか、介護学校に通う外国人や、子どもを連れて家族で参加する方もいます。
そして4人がチームになって班をつくり分かれ、指示されたタイムスケジュールで動きます。
今年は、安田女子大学、女学院大学、広大付属高等学校の女子とご一緒いただきました。
みなさん真面目な方で、感動しました。
特に女子高生は、その若さにも関わらず、臆することなく声をあげ、そしてなんと、英語が得意で、外国人の方の対応に長けていました。
ボランティアの最後は、残ったとうろうをひたすら組み立てて護岸から流します。
暑さのなか疲れた身体にはかなりの肉体労働です。
ボランティアメンバーによっては、趣旨を理解せずに申込み、予期せぬ大変さに不平をつぶやく方もいらっしゃいました。
不平をつぶやいたのは男子学生でした。
それを残念に思ったこともありますが、いま、講師として大学生に触れていると、それも特有のポーズなのかもしれない、とも思います。
人は、見たその瞬間が全てではありません。
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また、ボランティアを主催するのは、「とうろう流し実行委員会」という、広島市中央商店街振興組合連合会です。
毎年、同じメンバーが運営されています。その継続に、頭が下がります。
1年目、心に刻まれたことが忘れられず、できる限り参加しようと誓いました。
毎年、「とうろう流し実行委員会」から、これだけは大切にして欲しいと言われるのは、【feel, think, share】です。
感じ、考え、分かち合う。
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そうですね。
今年は、「この世界の片隅に」の監督、プロデューサー、声優を務めたのんさんからお預かりしたとうろうも流れました。
「この世界の片隅に」は、呉に18歳で嫁いだ主人公すずが、戦時下の困難の中にあっても工夫を凝らして豊かに生きる姿を描くアニメ―ション映画です。
そのすずの声を担当されたのんさんのメッセージ、「皆様のもとに大切な日常が戻りますように」は、豪雨災害を受けた呉、そして西日本の被災者に寄り添っています。
そうですね。
今年のとうろう流しは、その多くの、いくつもの片隅に、想いを寄せました。
生きているからできることがあります。