仕事の合間に、そして仕事に差しさわりのない範囲で、被災地に出向くことにしました。
これまで災害支援はお金が中心でした。
支援金、義援金、見舞金などです。
2011年に発生した東日本大震災では、2014年の広島(八木)土砂災害が発生するまでの3年半、毎月の給料が入るたびに送金を続けました。
当時ワーキングプア層だった自分がそれを続けられたのは、激しい3.11ショックが脳裏に刻まれたからだと思います。
今回の豪雨災害も長い長い支援が必要だと感じています。
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中学時代を八木で過ごしました。
奇しくも広島(八木)土砂災害が発生する3日前に、中学同窓会が開かれました。
広島(八木)土砂災害では腰痛で通院中だったため、中学の同級生が励まし合って泥をかきだす輪に入れず、自責の念や焦りがありました。
LINEからリアルタイムに届く被災地の現状、災害ボランティアの中心に立つ友人からのマニュアル情報・・様々な情報に混乱もしました。
自分が何をするべきかわからず、もがき、空回りしていました。
でもそれは、被災者に寄り添った気持ちでしょうか。
自分の器の小ささを目の当たりにしました。
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その後、2016年に熊本地震が発生しました。
その時は支援金を寄付し、熊本に住む友人に見舞金を送りました。
自分でも驚くほど、割とあっさりした行為でした。
熊本は遠く、誰も私を見ていません。
「自分はこういう人間なんだな。お金で解決するタイプなんだな」と、冷静に思いました。
だから、これから何か大きな災害が起こっても、寄付はさせてもらおう、でも、体を使わない自分を責めることはよそう、と。
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そして2018年7月、西日本豪雨土砂災害が発生しました。
今回、被災地に立とうと思ったのは、大きな気負いや決断とかではなく、なんとなくです。
たぶん、いま自分のいる日常の全てが、「私にもできる」「私でもいい」につながったのだと思います。
最初に向かったのは、海田の畝、春日神社(正式名称:日浦山神社)と、その宮司さんのお宅です。
神社の参道は、災害によって跡形もなくなっていました。
一軒家の泥水につかった段ボールの解体や、コンクリートブロックの清掃など、女性でも充分できる作業をお手伝いしました。
そして、男性陣が凝り固まった土をかき出す神社の参道で、土嚢のセットなどを行いました。
一番の感想としては「進まない・・」です。
復旧までは、本当に地道な作業が長く長く必要だと感じました。
だからこそ、1人1人のチカラが必要だと。
家に帰って一息ついたら、「誰かがいないと生きられない」という思いが強く溢れ、焼きそばを頬張りながら号泣しました。
・・なんか、やたらジャンクなものを食べたくなったのです。
連れて行ってくれた高校の先輩は、始終気にかけ、声をかけてくださいました。
ともに作業されていた方の多くは、ずっと復旧作業に携わり、今も復旧のために汗を流しています。
「進まない・・」そう感じたのに、数日後にはSNSに見事なまでに美しく平らになった境内が投稿されました。
感動で涙が出ました。
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次回は8月中旬にボランティアに入る予定です。
8月は大学の集中夏期講習サブ講師の仕事があるので、これが最後になるでしょう。
わずかなことしかできない私が、「ボランティアをした」と言うのはおこがましいですが、発信しようと思います。
「今もどこかで復興の必要な場所がある」ことを忘れずにいることも、支援のひとつだと思います。
小さな点、大きな点それぞれが重なって復興につながる。
何とも比べず、誰とも比べず、点を残す。
自分ができないことを見つめるのではなく、元気な人は元気に過ごしながら、災害で苦しんでいる人がいることをずっと忘れずに、アンテナを張る。
アンテナが立てば動く。
これが今の私の思うことです。